「人生の終末」を迎えることに恐れと不安を覚える私たちに勇気と希望を与えてくれる、主人公・中野正三さんの「生き方」と「閉じ方」。なんと素晴らしい人生なんだろう。

パレードブックスは、2021年7月21日(水)に、『「がんにはなったが幸せだった」 緩和ケア病棟で最後を過ごした中野正三さんの人生の物語』(著:林良彦)を全国書店にて発売いたします。

  • パレード新刊

あなたはがんと告知されても心穏やかでいられるだろうか?
がんになっても幸せだった。そんな人生の物語があるだろうか?
あったのだ。

このエッセイは緩和ケア医師である著者が、
がんであってもなお穏やかに過ごしている一人の患者さんに寄り添い、
伴走して得られた充実感が、患者さんの旅立ち4年後に
ガタガタと音を立てて崩れ落ちてしまった記録です。

なぜならば、グリーフケアで訪れたご遺族の奥さんが2冊の手帳を見せてくれたからです。
手帳の中には赤字で死に対する不安、葛藤が書かれていました。
なぜ存命中に打ち明けてくれなかったのかと悩みました。
少なくとも手帳を見た瞬間はそう思いました。

そしてこのエッセイは2冊の手帳を解析した記録でもあります。
そして遂に分かりました。
この手帳は死の不安や葛藤を書いたものではなく、
それらを克服していった記録だったのです。

本書 書影本書 書影

  • あらすじ

「意見箱が見つかりこんな嬉しい事はありません。嬉しいと言うと負け惜しみに聞こえますが決してそうではありません。私たちは具体的な治療がなくなった緩和ケアの身ですが、この身分は端で見る程みじめではありません。実例を挙げてみますと、朝、眼が醒めますと健康な人は特に感慨もなく日常生活がスタートすると思いますが、私たちは日常生活が始まる前に生キテイテヨカッタと毎朝喜んでおります。私たちだけの喜びです」 

この中野さんの投書が嚆矢となりました。

「朝の目覚めのありがたい気持ちを子供たちに伝えませんか? 何も難しく考える必要はありません。主治医と『かけ合い漫才』のような対談をすれば良いのです」とお願いしてみました。

その時点で中野さんから肯定的な返答はありませんでしたが、後になって中野さんの目つきが変わったと看護師さんが教えてくれました。奥さんには「わしはまだ死なんのな」と嬉々として話したそうです。その時の様子を奥さんがノートに書いていました。「がん末期の患者として生徒に話をするらしい。なかなかまとまらず苦労しているようだ。入院してすぐ『緩和ケアは終末ではありません。どのようにより良く生きるかを考える場所です』という話を主治医にして頂いた。生徒に自分の気持ちをどう伝えたら良いのか… 手帳にメモしようとしましたが、結局は進みませんでした」

中野さん自身も手帳に次のように書いていた事が後で分かりました。「自己紹介:13年前の食道がん→余命35%→食道全摘手術→延命→前立腺がん→そして肺がん・脳転移 ステージⅣで手術不能と告知。ヘコンダ過去があったため意外に冷静に肺がんを受け入れた。『生きていてよかった』 朝、目覚めの瞬間の心境(座禅・写経) 死→予告→目覚めないかも… 生きて目覚めた! この喜びを分かってもらえるのはかなり難しい」

―ーー
この対談の提案が現実となり、とある高校で「命の授業」と題して講演を実施する事になりました。中野さんは自分の気持ちが生徒たちに伝わるか不安があったようですが、いざ始まると、生きていて良かった喜びを力強く訴えました。まるで昨日まで現役の教師だったかのような顔の表情、身振り・手振りです。主治医も奥さんも中野さんの気持ちが生徒たちに伝わったと確信しました。その証拠に講演が終わって退出しようとすると、登壇時には手を貸してくれなかった生徒さんが大勢集まって中野さんが車椅子へ移乗するのを手伝ってくれたのです。そして車椅子の周囲には多数の生徒さんの輪ができていました。印象的だったのは、どの生徒さんも柔和な顔つきで中野さんを取り囲み心の底からホスピスの気持ちでおもてなしをしていた事です。そこだけ目映い光が差し込んだかのような感動的な光景でした。この日の体験は若者の心の灯火として輝き続けることでしょう。

この日のでき事を中野さん自身も手帳に書いていました。「T高校で先生と待ち合わせ、教え子の教頭と三人で協議。内容について事前に準備・整理して混乱のないようにする。体育館に80名の生徒で講演。先生のリードで一時間半位の講演となった。成功したかどうかは分からない。『生きる』意味がプラスに伝わってくれれば… 緩和ケア患者の『生の至福』がポイント」

何よりもこの「命の授業」が中野さんに対する緩和ケアのポイントとなり、生きる喜びに繋がりました。そして死を受容したかのように凡事徹底を貫き、最期は「がんにはなったが幸せだった」という言葉を残し穏やかに旅立ちました。

ーーー
この「命の授業」の中で中野さんは考え抜いたあげく、高校生に分りやすく命のありがたさを白板に書いて説明していました。それは次の禅問答でした。

医者:禅語で自他不二という言葉がある。自然界ではない。
和尚:免疫が両者にあるなら自他不二だ。

この内容こそが緩和ケア患者の「生の至福」のポイントだったのです。その事を中野さんが亡くなって4年後に奥さんが見せてくれた2冊の手帳が明らかにしてくれました。

手帳を拝見した第一印象では死の不安、葛藤を書いていた物だと思い込んでいましたが、じっくりと読み直した結果、それらを乗り越えた記録だったと分かったからです。手帳に書かれてあった仏教的な解釈を要約すると次の2つのキーワードに凝縮されます。それは自他不二と梵我一如です。

まず自他不二の意味からです。人間という肉体だけでなく精神、自分を取り巻く環境までも視野に入れて健康という物を見ると、自然・地球そして宇宙が関わっている。つまり私たちは自分以外の生き物を通じて、自然を通じて、地球や宇宙を通じて皆繋がっている。私とあなたは切り離せない。私と自然も切り離せない。みんな繋がっている。以上のように命の尊さを訴えていました。

次に梵我一如です。梵我一如は一言で言えば解脱する事です。人間は煩悩、すなわち三毒と言われる貧(とん)・瞑
(じん)・痴(ち)を克服できれば解脱できます。我は私で肉体は無数の原子でできています。肉体・細胞・原子の根本原理は一つの同じ力と考えるのです。よって全てが差別・区別なく一つである。私は死んでも存在すると考えていました。

この事を高校生に分りやすく伝えようとした結果が先の医者と和尚との禅問答だったのです。私の中には不治のがん細胞がある。仏教の世界では自他不二という言葉があるが今の私には自分とがん細胞とが繋がっているとは思えないのですが? すると和尚は地球上のありとあらゆる生物には免疫という自己防衛の機能がある。人間にもがん細胞にも免疫機能がある。そうだとするならば、あなたもがん細胞も自他不二ですね。

このように考える事で中野さんは人生の最終段階を穏やかに過ごす事ができていたのだと分かりました。中野さんが達していたと思われる心境は、難しい仏教の言葉を使わなくても、もっと分かりやすい次の言葉に集約されていました。

「『死ぬほどつらい』とか『死んだ方がまし』とか言うが、生死は天命、喜怒哀楽は人事である。次元が違うので一緒には扱えない。人事はいかようにでも料理できる。ことわざの通りに人事を尽くして天命を待てば良い。」

即ち、自分ではどうにもコントロールできない生死を心配しても仕方がない。それよりは悲しいとかつらいとか喜怒哀楽の感情は自分の考え方次第でコントロールする事ができる。だから感情をコントロールして従容として死の床につけば良いと考えていたに違いありません。

だからこそ、実際に高校での「命の授業」以外にも、教師時代の教え子が緩和ケア病棟で同窓会を開催してくれ、お礼に「かぼすぶり」を自分で捌いて提供したり、亡くなる1ヵ月前には外出し、酸素を吸入し、両脇を支えられながら川の中に入ってハエ釣りをしたりと穏やかに過ごしていた中野さんのエピソードに合点がいきました。

中野さん こっそり自慢ハエの釣果中野さん こっそり自慢ハエの釣果

  • 著者メッセージ

本書は、人生の最終段階を緩和ケア病棟で過ごした終末期患者さんと主治医との魂と魂の闘いの記録です。我々は心をこめて緩和ケアを提供しましたが、それ以上に患者さんやご家族から得られた気づきや学びは大きいものでした。そして学びは患者さんが亡くなった後も続いています。まさに、ミルトン・メイヤロフが述べていた、①ケアの双方向性、②共に成長する関係を実感しています。

またこうした内容を、
①   がんに罹患している患者さんや家族、介護者の方々。
……こんな人生の「生き方」「閉じ方」もあるのだと知って、穏やかに生きる生き方を学ぶ本として。

②   がんと向き合う医療関係者、人の生死に関わっている人たち。
……疲弊している現代社会に生きる人たちの一服の清涼剤として。

③   緩和ケア病棟がどんな場所か、何ができる場所なのかイメージが湧かない人たち。
……最期までの日々を過ごす選択肢の一つとしての緩和ケア病棟を知ってもらう本として。

④   中野さんの全国に散らばる1万人以上の教え子たちや友人たち。
……恩師であった中野先生の素晴らしい人生の物語を語り継ぐ材料として。

⑤   仏教、儒教、哲学などを通して穏やかな生き方を学ぼうとする人たち。
……浅学な筆者と同じような初心者の入門書として。
といった方々に読んでいただくことを心より願っています。

  • 著者紹介

林良彦(はやしよしひこ)
フリーランス緩和ケア医師。1981年九州大学医学部卒。
第1外科に入局後は手術で「切って切って切りまくる生活」を続けてきた。しかし、患者さんの生命の予後は手術の成否によるものではなく、元々持っていた患者さんの寿命に従うだけで、手術の目的は切除することではなく、その患者さんの人生を幸せにすることだと気づいた。その結果、緩和ケア医に転身、今では緩和ケアは自分の天職だと考えている。
著書に『最後のカルテ記録』(幻冬舎)がある。

  • 書籍

書籍:「がんにはなったが幸せだった」 緩和ケア病棟で最後を過ごした中野正三さんの人生の物語
著者:林良彦
出版社:パレード
発売日:2021年7月21日
ISBN:978-4-434-29204-0
仕様:四六判/並製/188ページ
価格:1,320円(税込)
Paradebooks URL:https://books.parade.co.jp/category/genre03/978-4-434-28950-7.html
アマゾンURL:https://www.amazon.co.jp/dp/4434292048/

  • 出版社情報

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パレードブックスの自費出版
URL:https://www.p-press.jp
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パレードブックスの書籍紹介
URL:https://books.parade.co.jp

【会社概要】
商号:株式会社パレード
大阪本社:大阪府大阪市北区天満2-7-12
東京支社:東京都渋谷区千駄ヶ谷2-10-7
代表取締役:原田直紀
設立:1987年10月20日
資本金:4000万円
事業内容:広告企画・アートディレクション、グラフィックデザイン全般、Webサイト企画・制作、出版事業『パレードブックス』​

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